2017年 12月

 日本料理を学ぶため日本の料理学校へ留学している外国の若者たちがテレビで紹介されました。彼らの学びは技術的なことだけでなく、その根底にある精神的なことへの大切さにも及びます。

日本料理の「おもてなし」、それは
  ・思いやり
  ・優しさ
  ・気くばり
  ・目くばり
  ・心くばり

すべてが客人の為、このひとときを心地よく過ごしていただきたいという想いの表れです。学生さんたちは学ぶことの多さに戸惑い、四苦八苦されている様子でしたが、見て食べる「日本料理」のすばらしさと「日本の心」をしっかりと学び、母国で彼らの成長と帰りを待つ方々に日本のことを伝えていただきたいと思いました。
 そして昨日、病院で診察を受けたあと、すぐそばの薬局で待っていると老夫婦が入ってこられました。お二人はそのまま、ご婦人が奥側へご主人がドア側の席へ腰を下ろしました。しばらくしてドアが開き冷たい風が入ってきました。するとご婦人は「寒いでしょ」と立ち上がり、冷たい風がご主人にあたるのをさえぎるようにドア側に座り直しました。おそらく診察を受けたであろう夫をさりげなく気遣うその姿はとても優しく、見ていた私の心も温めてくれる素敵な光景でした。

雪うさぎ

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2017年 11月

 いい言葉を見たり聞いたりすると書き留める習慣があります。先日、片付けをしていると十年ほど前の手帳が2〜3冊、埃をかぶっていました。懐かしくて開いてみると…

  良いことは他人が先 苦しいことは自分が先

  約束を守る できない約束はしない

  良いことは隠れてする

  人の見ていないところで努力する

  聞き上手になる

  家族の愚痴を言わない

  一日一日を大切に

  悲しみに出会ったおかげで 今までに見えなかった世界を
  見せていただけるようになった

  ○は大きく ×は小さく
  励まされて元気が出るのです。

  この「しあわせ」以上にどんな「しあわせ」があるのだろう

  「生きている」つもりのまんま「生かされている」私

  力を抜いたとたん 世界が開ける

  一番はもちろん尊い しかし 一番より尊いビリがある

  損か得か 人間のものさし ウソか真実か 仏様のものさし

  道で一番好きなのは帰り道

  私たちは亡くなられた方の分まで生きることはできないが
  与えられた人生を精一杯生き抜くことが大切

  拝むものは拝まれる

  僕の夢は僕だけの夢じゃない

七五三

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2017年 10月

 正善寺本院のある玉野市日比地区は超高齢地域になりつつあります。社会や産業構造の変化は家業として代々営んできた様々な仕事やお店の存続を困難なものとしました。学生は都市へ進学、若者は仕事を求め都市部への移住をやむなくされました。
 門徒でもあるとても良心的なお肉屋さんは、ご主人が亡くなり奥さんがひとりで最後まで頑張っていましたが、10年ほど前に高齢のため店を閉めました。また、メニューは支那そばと奥さんが七輪で焼いた穴子がいっぱい入った巻き寿司とおはぎだけ、大評判のおいしさでテーブルはふたつだけでもすぐに売り切れてしまう。そんな地域の人は皆知っている懐かしい味も5年前ご主人が高齢で入院されもう二度と食べることはできません。最寄りのガソリンスタンド7店舗もすべて廃業し、生活に欠かせない地域の大切なお店のほとんどが消滅してしまいました。
 そんな玉野市日比地区ですが、正善寺仏教婦人会が主催する恒例のバザーには毎年たくさんの方にご来寺いただいております。本年も6月に開催し、仏教婦人会員のご協力で門信徒や近隣の方々100人が来寺されました。特に法座のお接待でお出しする正善寺伝承の「ばら寿司」と「草もち」は大評判で、バザーで販売する時もあっと言う間に売り切れます。
 今回、話し合いの末、11月12日に恒例のバザーを更に充実させた「青空寺市」を開催することが決まりました。人口減少や高齢化の波が押し寄せ、馴染みのお店がひとつ、またひとつと閉店に追い込まれ、日々の買い物も不便さが増しています。そんな地域で暮らすお世話になった方々の少しでもお役に立てる「青空寺市」にしたいと皆でアイデアを出し合いました。
 目玉は何といっても仏婦仏壮が作る「ばら寿司」と「草もち」。ばら寿司は仏教婦人会が前々日に買い出し、前日より仕込みを行い当日深夜2時より調理します。草もちは仏教壮年会が担当し、仏壇店・葬儀社の女性スタッフもお手伝いしてくださる予定です。ご門徒の青果店が仕入れてくださる格安の野菜類や住職が用意する甘くておいしいシャインマスカットの販売もあります。また現在、地域の菓子店・パン屋さんにも協力のお願いを検討中です。
 開催前にはケーブルテレビや新聞広告でもご案内させていただく予定ですが、お友達やご近所の方々お誘い合わせの上、お気軽にご来寺ください。当日は、笑顔と賑わい溢れる楽しい1日となることでしょう!

栗

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2017年 9月

 「NHK シブ5時」で紹介されたミニチュアダックスフンドのマリリンちゃんは、北九州市門司区の古い商店街ある青果店の看板娘です。生まれたときから前足が他の仔よりとても短く、遠くに散歩に行けません。お店の前で小さな段ボールの切れ端に前足をのせて店番をしています。
 お客さんのMさんがやって来ました。マリリンは嬉しそうに尻尾を振り、立ち上がってMさんを迎えました。Mさんも嬉しそうにマリリンを抱き上げます。そして、膝が痛くて歩くのが大変なのにいつもマリリンを抱いて、30分散歩に連れて行ってくれます。抱っこして散歩している間、マリリンとお話をします。マリリンは黙ってずっとお話を聞いてくれます。
 Mさんは2年前に娘さん亡くしました。娘さんに「早く迎えに来て…」と毎日泣いて暮らしていました。そんな時、マリリンと出会いました。そしてその後、マリリンに会うことで少しずつ元気を取り戻していったそうです。
 今日もマリリンは店先でお客様をお迎えします。マリリンには人を励まし、笑顔にする不思議な力があるのです。特に大きな苦しみや深い悲しみを抱え生きている人たちに。                        南無阿弥陀仏

お月見

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2017年 8月

 多くの人々に知られ親しまれた医師、日野原重明さんが7月18日死去されました。105歳でした。日野原さんは亡くなる数ヶ月前まで医師として患者を診続け、健やかに生きるための助言をしていました。また、人として素晴らしい言葉を残されました。
 

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なんと言っても、
人が人に与える最高のものは、
心である。

他者のための「思い」と
「行動」に費やした時間、
人とともにどれだけの時間を
分けあったかによって、
真の人間としての証がなされる。

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自分以外のことに
自分の時間を提供するためには、
周りの人間から孤立して、
自分だけの世界に
閉じこもっていてはいけない。

人々とともに生きる世界に自分を置き、
周囲がいま何を必要としているのか、
自分には何ができるのかを絶えず考えながら、
毎日の生活を送る必要がある。

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 人が生きている時間のことを「寿命」と言いますが、「いのち」はその人が持っている「使える時間」のこと、つまり「いのち」とは「時間」そのものなのです。しかし、すべての人が平等に、そして当たり前のように1日に24時間という「時」を持っていると、その大切さを意識しないでなんとなく過ごしてしまうことがあるかもしれません。常々「いのちは使える時間」ととらえ、一瞬一瞬をもっと大切に考えて「今」を過ごせば、時間の使い方が変わり生き方も変わっていくのかもしれません。

「自分の使える時間こそがいのちであり、それを何にどう使うかが、
 生きていくということ。
 時間の使い方は、そのままいのちの使い方になります。
               (日野原重明著「いのちの使い方」より引用)」

花火

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
    
  
  
  
  
  

2017年 7月

追 悼

 6月22日、小林麻央さんが家族に見守られながら「愛している」の一言を最期に旅立たれました。昨年9月1日、同じ病や苦しんでいる人たちと喜びや悲しみを分かち合いたいという思いから「KOKORO.」というオフィシャルブログを『なりたい自分になる』という見出しで綴り始めました。

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私は
力強く人生を歩んだ女性でありたいから
子供たちにとって強い母でありたいから

ブログという手段で
陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました。

こんな自分勝手な情けない理由で
ごめんなさい。

でも、一度きりの人生なので、
なりたい自分になろうと
決意できたことは
うれしいです。

癌になってから1年以上が経ち、
いつものように身体が動かなくなった時

元気いっぱいの娘や息子を前に
途方に暮れる思いでした。

子供に、
「いつも一緒にいられなくてごめんね。
何もしてあげられなくてごめんね。」

と胸を痛めてるママがいたら、

あなただけでなく、私も同じです
と伝えたいです。
  (小林麻央オフィシャルブログ「KOKORO.」より引用)

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 癌と向きあい、死と向きあい、家族や多くの人々の愛に支えられ、どんなに苦しいときにも相手を思いやる心を忘れることなく生きる。そんな彼女のありのままの姿は、病に苦しむ人々はもちろんのこと、日本中の、そして海外でも多くの人々に勇気と力を与えてくれました。そして、私たちに本当の優しさと強さを伝えてくれました。

七夕

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
    
  
  
  
  
  
  
  

2017年 6月

正善寺の歴史

—昭和57年〜現在—

 昭和60年(1985)に現住職が就任いたしました。先代の思いを百分の一も受け継げたとは思えませんが、門信徒、寺族、スタッフの協力のもと、教化・運営に新しい手法を取り入れ精進しております。 (仏教壮年会・念仏奉仕団・一般向けの講演会・資源ゴミ回収・お経の会・写経の会・寺ヨガ・寺クッキング・寺カフェ・ウェブサイトの作成など)
 平成11年(1999)に岡山市内に分院を建立。翌年(2000)には納骨堂(Classic)が完成し、そして平成27年(2015)「岡山の納骨堂」(アミターユス)が完成し現在に至ります。
 先代が大切にしたものは、ただただ仏様(ナモアミダブツ)でした。そして感謝と慚愧でした。日々のお勤めの後、必ず口に出して「アミダさま、お釈迦さま、親鸞さま、お父さま、お母さま、みなさま、すみません」と言っていました。
 先代住職の足下にも及びませんが、私なりに大切にしたいものは、過去からお育ていただいた多くの人々、そして今を共に歩んでいただいている多くの人々への感謝です。多くの人々が集うお寺は、仏さまのお慈悲の心で満ちあふれる場所であり、自分だけのことでなく他の人達のことも思える人々が集い、そして、みんなの力で悲しみや苦しみの中にある人々を優しく温かく迎えることのできる場所でありたいと思います。
 これから迎える人口減少社会は、すべての事業を営む人にとって中長期的に大きなリスクとなりますが、お寺はもっと深刻なリスクにさらされています。それは今日まで家庭や地域の中で当たり前のように伝承されてきた仏教儀礼が崩壊したことです。また、一方ではお寺の存在価値さえ問う声が聞かれます。これらのことはお寺の未来に大きな障壁となりますが、持てる資産を有効に活用し、様々な工夫を凝らし、変化し続ける時代のニーズに応えうるよう努力していきます。お寺は仏さまの慈悲と智慧に触れることのできる場所です。その事だけは変わることなく、いつの時代にも人々に必要とされ、100年先、200年先も多くの人々が集うお寺であり続けたいと思います。

紫陽花

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2017年 5月

正善寺の歴史

—昭和13年〜昭和56年—

 正善寺は在家より得度、広島県 高屋村 西品寺の衆徒であった祖父、篠崎正善とその妻ツルが昭和13年(1938)に岡山県玉野市日比に移り、民家を借り、西本願寺日比説教所の看板を掲げたことに始まる開教寺院です。当時の玉野市は、浄土真宗の教線が希薄ではありましたが、三井造船や三井金属の工場ができ、県外からの流入人口が増えつつありました。ゼロからの出発をしたその翌年、第二次世界大戦(1939〜1945)が始まりました。物の無い混乱の時代ではありましたが、お寺を希求する声は強く、主に香川県出身の信仰の篤い人々の熱意と御尽力により、わずか6年後の昭和19年(1944)には、本堂を建立し、同時に御本尊をお迎えすることができました。お寺は広島の瀬戸内海の島より不要となった古寺を解体し、船で運び、塩田業を営む竹田勝次氏より寄進の土地(玉野市日比)に大工さんを中心とした門信徒の奉仕により完成しました。小さな本堂ではありましたが、浄土真宗のみ教えを広めるべく門信徒、そして、地域の人々と共に歩みを進めました。
 当時の人々にとってお寺は必要不可欠な存在であり、社会の風景の中に溶け込んでいました。家庭においても仏様(仏壇)は日々の生活の中心をなしていました。先代住職と門信徒の思いはひとつになり、念仏の道場として各種法要、子供会(日曜学校)、仏婦活動、地域の集会所など、みんなのお寺としてその機能を発揮しました。
 そして、昭和49年(1974)納骨堂を完備した現本堂を再建し、昭和56年(1981)に大谷光真(第24代即如門主)ご巡教の第1番目の会所寺院となりました。その様子は第25代専如門主伝灯奉告法要の中前門様の歩みの映像として、本願寺両堂のモニターに映し出されました。今思うに、本堂再建、そして新しい本堂へ即如門主をお迎えして門信徒の皆様と共に喜びを分かち合えたのも、先代住職夫婦を温かく迎え、そして支え続けてくださった多くの人々のお力添えの賜物でありました。
  
              6月「正善寺の歴史 —昭和60年〜現在—」につづく

兜

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2017年 4月

 大関在位31場所、稀勢の里は猛稽古に励み優勝杯を目指した。幾度もチャンスはあったが掴むことができなかった。精神面の弱さが常に挙げられた。
 2017年初場所、ついに初優勝を果たした。そして、横綱に昇進。横綱として初めて迎えた春場所、全勝で勝ち進んだ13日目に日馬富士に突き飛ばされ土俵下へ左肩から転落。苦悶の表情で左肩を押さえ、しばらく立ち上がれなかった。そして、病院に運ばれた。誰もが14日目以降の出場は無理だろうと思った。「たとえ力士生命を縮めても後悔はしたくない」負傷を押して強行出場した14日目、一方的に負けた。迎えた千秋楽、誰も予想しなかった照ノ富士に勝利し決定戦に持ち込む。そして、再び勝利した。
 兄弟子の奇跡的な逆転優勝に高安は感動し、嗚咽して号泣した。いつも真面目に稽古に励む兄弟子の姿を一番近くで見ていた。「報われて良かった」高安も稀勢の里に続くであろう。

 釈尊は言われた。
「良い友をもつことは、修行を半分完成させたのと同じ事である」
                              南無阿弥陀仏

桜とランドセル

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2017年 3月

お寺とはどんなところなのでしょう?

 法事や葬儀をする、お墓や納骨堂がある、昔からあったものが残っている…などでしょうか?実はお寺には、世の中の人々に仏さまの教えを届けるという大切な使命があるのです。仏教、浄土真宗の豊かな智慧に触れることができるところ、それがお寺なのです。
 人生は楽しいことばかりではありません。悩みや迷いは、次から次へと起こってきます。人生に不安を感じたり、自分自身の生き方を考えて見たいと思う。そんな時、お寺はどのようにしたら人々が心豊かに生きていけるのかを仏さまの教えを通して一緒に考えていく場所なのです。
 お寺には長い年月をかけて培われてきた無形の力がたくさんあります。そのひとつが人と人との繋がり(ご縁)です。正善寺ではたくさんの人々のご協力をいただき様々な取り組みを行っています。一年を通じて行われる恒例法要や行事、法話会、みんなで楽しく学べるお経の会、写経の会、寺ヨガに寺クッキング。また、西本願寺への参拝と清掃奉仕やウェブサイトの作成など。そして、仏教壮年会・仏教婦人会の組織はそれぞれ主体性を持って活動していただいております。
 年齢や性別・社会的立場を超えて人々が集い、語り合い、活動することにより相互のご縁を深め、人生を共に生きていくかけがえのない仲間に出会うことで、自分自身の進むべき方向が定まったりします。お寺がご縁をつなぐ場としてもっと身近な存在となれるよう、今後も施設や設備などの充実を図り、ソフト・ハードの両面にわたり怠ることなく改善してまいります。ひとりでも多くの方に気持ちよく、そして気軽にお参りしていただきますようお待ちいたしております。

お雛さま

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2017年 2月

  10年ほど前の事ですが、心臓をつかまれたような痛みで目が覚めた。呼吸がしづらく冷や汗を伴う苦しさだった。生まれて初めて「これで死ぬのか…」と思った。救急車で病院に運ばれた。不安定狭心症であった。
  入院し冠動脈形成術を受けた。(冠動脈の狭窄部をバルーンで広げ、ステントを挿入する)すっかり回復し、運動不足を解消するためスポーツジムに通い始めた。薬を飲み続けなければいけなくなったがすっかり元気になった。
  5年後、検査でステントを入れた部分が狭くなっているのがわかり、長いステントをかぶせて入れることになった。他にも狭い所が2箇所あるので症状は出ていないが予防のため計3つステントを挿入することになった。
  手術当日、4人の先生がオペ室におられた。院長より「最善を尽くしますが、何かあったら(異変、痛み等)言ってください」との言葉があり、オペが始まった。途中、ステントの長さが合わず少してこずり、1時間30分ほどかかった。その間、院長より「大丈夫ですか?何かあったら言ってください」との言葉が何度かあったが、遠慮もあり我慢できる痛みだったので「大丈夫です」と答え続けた。しかし、本音は時間はかかるし、身体はしんどいし、気分も少し悪くなるし…そして何より、大変不安だった。すると、それを察したのか、若い先生が傍に来てくれ「篠崎さん、安心してください。大丈夫ですよ。順調にいってますよ。もうすぐ終わりますからね」と声をかけてくれた。
  すると、不安はなくなり、身体も楽になり、気分もずいぶん良くなった。まもなく手術は無事終了した。
  もちろん、根拠のない無責任な言葉はいけないが、真実に基づいた相手を思いやる言葉は、不安を取り除き安心を与えてくれるのです。
                               南無阿弥陀仏

梅

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

2017年 1月

あけましておめでとうございます

  毎年、年末には喪中はがきなどで訃報を知らされます。昨年はKさんが往生されたとのはがきが届きました。Kさんは8歳年上で大学生の頃より10年間ほど正善寺の盆・彼岸のお参りの手伝いに来てくれていました。私が中学生の頃、盆参りの手伝いをすることになり初めて門徒様宅に伺った時、ひとりでは心細いだろうと一緒にお経をあげてくれました。私が京都の大学へ進学し、下宿していた時もよくKさん宅にお邪魔し晩ご飯をごちそうになりました。  一番近くお会いしたのは8年ほど前、娘のオープンキャンパスで神戸に行った時です。Kさんは島根県の寺に生まれましたが、ご長男が寺を継がれたので学校の先生をしていました。縁あって神戸にあるお寺の手伝いをしながら立派な新寺を建立されていました。その時にKさんは「正善寺に手伝いに行ったお陰だ。正ちゃんのお陰だ」とうれしそうに話してくれました。「また、岡山に来てください」と再会を約束して別れたのが最後になりました。享年72歳、私の背中を押してくれ、共にときを過ごした人が往生されました。寂しい限りです。ありがとうございました。                                 南無阿弥陀仏

habotan