2023年 12月
今年もはや12月、年の瀬も押し迫る気ぜわしい日々となりました。それぞれの人々、それぞれのご家庭にはどのような一年間を過ごされたことでしょう。ご自身やご家族の入学、就職、結婚、新しい生命の誕生、また逆に発病、事故、大きな失敗そして大切なご家族の死………まさに悲喜こもごも泣いても笑っても諸行無常、月日はただ過ぎ去って行きます。
正善寺においてもいろいろありましたが、例年通り「物故門信徒 追悼永代経法要」を12月3日に厳修することができました。「永代経」とは多くの人々に永代に渡ってお経が読み継がれ、仏さまの教えが後世に広く伝わっていくことを願う法要です。また同時に今は亡き大切な人々を想う法要でもあります。別れは悲しくつらいものです。会えることは幸せでうれしいものです。ひとときの集いではありましたが、それぞれの皆様にとって大切な人々を偲び、想いの繋がる心やすらぐ時間であったことを願うばかりです。当日はお忙い中ご参詣をいただいた皆様、また前日よりお手伝いをいだいた皆様には厚く御礼申し上げます。
尚、皆様にお供えいただいたお布施は、発展途上国に住む盲目の子供達1000人を目標に医療により光を届ける「認定NPO法人 ヒカリカナタ基金」と月2回開催する子ども食堂で安心できる居場所を届ける「うのっこ食堂運営委員会」に全額寄付させていただきました。
2023年 11月
ウクライナに続き、今パレスチナで尊い生命が奪われています。
イスラエルとハマスによる戦いは多くの未来ある子ども達の生命をも奪っています。歴史の話は別にしてパレスチナの地エルサレムにはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地があり、宗教上とても重要な地域です。この戦いも国家・民族の対立である一方、根本には宗教の違いによる因が大きく働いていることは間違いない事実です。
人々の幸福や愛や平和を説くはずの宗教がなぜ対立や争いの原因となるのでしょう。親が子供に諭す時、「自分がされていやなことは相手もいやですよね。だからやめましょう 」と言うはずです。自分の大切なものは、他の人も大切なのです。私たちの一番大切な生命を奪い合う戦いが一刻も早く終わることをただ願うだけです。
2023年 10月
近年核家族化が進み三世代同居の家庭がほぼなくなりました。祖父母からの家庭の中における仏事の伝承が困難になり、仏教の精神や行事は次第に消えていきつつあります。
特に最近はコロナを境にいい意味で寺離れが進んでいるように思います。江戸時代の寺請制度のなごりでなんとなく続いてきた檀家制度(家の宗教)は近い未来なくなるでしょう。そして本来あるべき姿(世界人権宣言第18条、日本国憲法20条の規定により信教の自由を保障されています)個人の宗教へと行き着くのでしょう。これからの時代ひとりひとりが持つ悩みや不安を少しでも和らげ安心できる生活や人生を送るためには何が必要なのでしょうか。
本来釈迦の教え仏教は、ひとりひとりの持つ苦悩と向き合いその解決を目指すものです。仏教国であるタイやベトナムでは合掌で礼をもってもてなしてくれます。私たちが暮らす日本でも食事の前に「いただきます」と言って合掌する習慣があります。相手を敬う合掌、すべての命と恵みに感謝する合掌……仏教の優しい心を広め伝えていきましょう。
2023年 9月
お釈様の入滅後、そのお教えは口伝えでは永く伝え残すことができないので弟子阿難らを中心にお釈様から聞いたお話しをサンスクリットで記し伝え残されました。それから約千年後、三蔵法師(玄奘三蔵)により印度から中国に持ち帰られ多くの仲間の僧と共に膨大な時間をかけ漢字に訳されました。その数は八萬四千の法蔵とも言われています。
それらの経典は遣隋使や遣唐使によって日本にもたらされ、我が国の政治や文化にそして宗教に大きな影響を与えました。平安時代から鎌倉時代にかけ有名な祖師方が生まれ、それらを支持する人々によって宗旨・宗派などができました。
宗旨が色々とあるのはそれぞれ祖師が歩まれた仏道に違いがあるからです。仏道(仏教)とは私たち一人ひとりが自分自身の心のあり方や生き方を整え、間違いのない人生を歩むためにあります。祖師たちも私たちと同じように普通に苦悩を抱え、ただ一人の人間として仏の教えに救いを求め、多くの経典の中から自分に一番合うものを選ばれ、その教えに基づき人生を委ね歩まれたのです。
私たちはそれぞれの祖師の歩まれた生き様を学ばせて頂くのです。祖師方がそれぞれ自分に向いていると思われた経典を選択されたように私たちの選択も自由です。自分で自分に最適と思われる経典あるいは祖師を選び、学び、それらを拠り所として悔いのない最高の人生を歩むことができればそれで良いのです。
2023年 8月
7月26日の「RSK地域スペシャル メッセージ」は 、日本記者クラブ賞・特別賞
受賞記念『島の命を見つめて~豊島の看護師・うたさん〜』が放送されました。
番組は、
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「生き合い、死に合う島」
超高齢化が進む、瀬戸内海に浮かぶ香川県土庄町の豊島(てしま)。島で唯一の診療所で働くのは、島のお年寄りから「うたちゃん」「うたさんれる看護師、小澤詠子(うたこ)さんだ。
そんなうたさんが支えているのは、島の高齢者の命。診察や巡回を通じて多くの高齢者に寄り添い、一方で多くのお年寄りたちの最期も看取ってきた。
日々衰え行く島の命。うたさんと高齢者たちの「命のやりとり」を描いた8年前、そして今を追った。
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という内容でした。
うたさんの真に島の人々にとことん向き合いよりそう姿に大きな感動をいただきました。自分のやるべきこと生きる意味をこの島の人々に見いだし、圧倒的な言葉の力と真心をもって、この島で生きていくひと・死んでいくひとと共にある彼女に心が洗われる思いでした。是非機会があればお寺にお迎えしてみんなでお話をうかがえればと思っています。
2023年 7月
人生勇気が必要だ
くじけりゃ誰かが先に行く
あとから来たのに追い越され
泣くのがいやならさあ歩け
60歳以上の人なら誰でもが知っている時代劇「水戸黄門」の主題歌2番の歌詞です。時は日本の高度成長期と重なりモーレツサラリーマン(企業の利益のため自らをそして家庭などを犠牲にしてがむしゃらに働く)という言葉も生まれ、ガンバレ、敗けるな、ただただ前へ前へ上へ上へと進んだ時代でもありました。振り返ると戦後の荒廃の中から立ち上がり、食べるため・生きるため、成長することだけを求め、ひたすら先を目指し突き進む。それがある意味必然の時代だったのでしょう。今日の衣食住など物の豊かさ、インフラなどの便利さ医療や福祉のもたらす安心など、この競争社会によってもたらされた産物なのかもしれません。
しかし競争は敗者を生み格差を作り出したのも事実です。決して競争を否定するわけではありませんが、他とくらべて争うのではなく、その人その人に合った生き方で欲におぼれることなく、大切なことを見きわめて余裕をもって、楽しみながらマイペースで日々を過ごすのもいいですね。仏様は諦観を通して私たちに素敵な生き方をすすめてくださっています。
2023年 6月
ほぼ35年間、毎年欠かさず西本願寺への念仏奉仕団での参拝を続けてきました。大型バス50名の珍道中は色々なことがありました。特に気を使うのが全員に乗車してもらうまでです。早朝の出発なので日にちをまちがえ寝ている人を迎えに行き、服を着ながら靴下を持って家からとび出して来た人(大笑)。夫婦で参加なのになぜか旧道と新道のちがうバス停で別々に待っていて、奥さんだけピックアップできず大変気まずい旅行となったこと(もちろん帰りしだい京都みやげと参加費を持っておわびに…)。
携帯電話のない時代、今となってはなつかしい思い出です。狭いバスの中、ゲームやカラオケで笑顔が溢れ、会話ははずみ、人と人との距離はぐっと縮まります。くせになり25回以上参加された人、生涯の友人を得た人…。コロナ禍で4年間中断となりましたがようやく再開できる時が近づいてきました。みんなが楽しめる素敵なプランをそろそろ考えたいと思います。
2023年 5月
私たちの暮らす日本は第ニ次世界大戦敗戦後、その荒廃の中から先人たちの不断の努力と情熱により復興を遂げ、発展を続け世界第2位の経済大国にまで昇り詰めました。そして70年間の永きに渡り自由と平和と繁栄を謳歌してきました。
科学技術や経済や情報の進化はグローバル化を促進し、今や国境を越え地球規模で考え、取り組んでいかなければならない問題が次々と起っています。気候変動、パンデミック、ロシアの軍事侵攻、そして人類の作り出した核の脅威等々…。一方、身の回りに目を移すと少子高齢化・貧困・いじめ・介護・孤立(無縁社会)など日本社会が抱える問題、その家庭や個人が抱える問題や苦悩は数え切れないほどあります。苦悩や不安の中で押し潰されそうになりながら生きている現代の人々に、仏教は寺は僧は一体何ができるのでしょうか。
仏教では様々な苦の原因は私たちの無明煩悩にあると考えます。無明煩悩とは欲望や怒りや憎しみや妬みなどです。限りない欲望やコントロールできない怒りは苦悩をより増大させます。逆に煩悩(欲望)を小さくすることができればあるがままを喜ぶことのできる幸福な日々が訪れるのです。今、正善寺が力を注ぎ取り組んでいる寺業は納骨堂です。喜びの時も悲しみの時も大切な人にいつでも会える、利用者にとって生活の1ページとなりうる真に価値ある空間として整備し、心を込めて守り続けていく覚悟です。
僧としてはやはり原点に帰り、ご縁をいただけるすべてのお家や人々とのなにげない日常の会話、ご相談いただく場や時間、それらを大切に丁寧に積み重ねていきたいと思います。
2023年 4月
心地良い春風の中、桜咲きそして若葉が芽吹く心はずむ季節となりました。入学式・入社式と新しい出発の時です。コロナの感染者数も減少し、人の動きも活発になり始めました。とりわけコロナ禍のもと大きな打撃をうけた航空業やホテル業など本当に苦しい三年間を耐え忍んできました。いよいよ反攻の時がきました。
私たち寺院もすくなからず影響を受けました。正善寺におきましても永年に亘って行なってきた法座活動を中心としたすべての行事を中止しました。昨年末、三年ぶりに行なった永代経法要の参拝者の数は予想した半分以下に留まりました。何か一気に時間が流れ、急激な変化が起こっているように思えました。
今までやってきたことを復活させ元通りにしていくのも大切なことですが、新たな発想で新たな取組みに挑戦しなさいというサインなのかもしれません。先人たちは様々な困難や危機を乗りこえすばらしい未来を切り開いてきました。ピンチはチャンスです。これからの時代に合った新しい寺に、今をそして未来に向かって生きる人々にとって必要とされる新たなる価値ある寺へと大きく舵を切る時です。門信徒、スタッフ、関係するすべての人々の考えに耳を傾け社会の状況をしっかりと見極め、新たなる出発点に立ちたいと思います。
2023年 3月
先日、学習塾など教育サービスの会社よりダイレクトメールが届きました。「子どもたちが集い、つながり、そして学ぶ 算数・国語教室をお寺で開きませんか?」という内容でした。
地域に開かれた子どもたちの居場所づくりにお寺の空間を利用してはどうかという提案です。家でもない、学校でもない第三の居場所として、学校の終わりに地域の子どもたちが集まり、安心して過ごせ学べる場として寺は最適であるとの考えなのでしょう。
確かに寺は広い空間があり、法事などがある土曜日・日曜日は参拝者で賑わいますが、平日は閑散としています。特に夕方以降の参拝はまずありません。寺の有効利用として、また、地域社会への貢献という意味でも最高のマッチングかもしれません。同じ発想で8時から16時までワーキングスペースとして使ってもらえば、閑散としていた寺が地域のホットスポットになれるかもしれません。元はといえば寺子屋が学校教育の出発点。それが本来あるべき寺の姿なのでしょう。
2023年 2月
新型コロナウィルス感染拡大から3年。感染を防ぐために「移動の制限」「三密を避ける」「マスク・消毒・検温」など様々な対策がなされました。多くの制約の中、私たちの生活は大きく変わりました。事業を営む人々、特に旅行や飲食などに関係する方々には大きな打撃となりました。職を失い人生の変更を余儀なくされる方も多くあったと思います。
また、高齢者施設に入所されている方や病気や怪我のため入院されている方は、大切な家族との面会がなかなかかなわずさみしい想いをされたと思います。
先日、日本政府より新型コロナウィルス感染症は本年5月8日をもって感染症法の位置づけを2類相当から季節性インフルエンザなどと同じ5類に移行する方針の決定が発表されました。決してコロナ危機が終了するわけではありませんが、何か長いトンネルの先に光が見えてきたような気がします。
私たちの祖先は、過去より様々な困難や危機を乗り越えてきました。動き始める時が来ました。感染対策をしつつ、まずは「お経の会」と「寺食堂(住職のチキンカレー)」が5月より再開します!皆様の参加をお待ちしております。
2023年 1月
あけましておめでとうございます
昨年はコロナの治まらない中、2月にロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まり世界中を驚かせました。報道される無慈悲で悲惨な光景は目を覆うものであり、一日も早い平和を唯々願うばかりです。戦禍の困難に苦しむウクライナの人々へ少しでもお役に立てればと、正善寺門信徒すべての想いとして三年振りに厳修された永代経法要の御懇志751,000円を微力ではありますが人道支援に限定し届けさせていただきました。
新しい年を迎え私たちは、過去に起こり今なを続く様々な困難を解決していかなければなりません。そしてこれから起こりうる問題に備えていかなければなりません。そして一番大切な今日一日を悔いのないよう丁寧に生きていかなければなりません。不安な日々は続きますが上を向いて前に進みましょう。
年末にNHKドキュメント72時間で「看護専門学校 ナイチンゲールに憧れて」がリクエスト再放送されました。「人のためを思う心がなければ看護はできません」先生の言葉が胸に響きました。過酷な医療や福祉の現場を支える看護師さんたちの精神的支柱となることでしょう。「人のためを思う心」この言葉はすべての生業を営むすべての人々が心がけねばならない一番大切な指標なのでしょう。
正善寺におきましても人のためと思う心を大切にして、寺内一同 心をひとつにして精進して参りたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。